ギャラリ-Chappyに戻る
ライン
チャッピー    幸せは谷戸をわたる風にのって
                         立木洋子 / 著

 それからの一年…
 チャッピーが小さな器に入ってからも、仲良しだった子どもたちや、かわいがってくださった近所の方々がわが家を訪れた。連休の家族旅行から帰って老犬の大往生を知ったという親子、”死”が理解できなくて、「チャッピーに会いたい…。」とショボクレていた子もいた。「落ち込んでるだろうと思ってさ…。」と様子を見に来てくれた弟夫婦は、玄関の外まで飛び散った履き物を見て少し驚いていた。
                      ☆
 2,3日は食べ物の味が分からなかった。頭痛がした。いつも通りに過ごそうと思うほど、それはままならなかった。当時の私は、チャッピーのいない生活に早く慣れなければと躍起になっていたのかもしれない。自分ではふっ切れたような気でいても、時折押し寄せる悲しみの波…。目や鼻や頬、腕、手のひら…、体のあちこちがチャッピーを覚えていて、「どうしてチャッピーガいないの?」と私に問う。「悲しいのは当たり前なんだから仕方ない…。」と夫。この人だって参っていたにちがいない。
                      ☆
 「チャッピー連れて、小谷に行って来よう。」突然、夫が言った。5月末から6月にかけての三日間、雪解けの小谷を歩いた。水量が増した川や滝のしぶきと混ざりあうように、ずっと霧雨が降っていた。冷たく澄んだ空気が頬に心地よかった。二人で思い出の場所をたどっても、そこにチャッピーの姿がないのはごく自然に思えた。同じ場所であってもこの季節の小谷にチャッピーの記憶は重ならないのだ。来て良かった。そう思った。弔いのような、そうでないような旅だったが、これを境に私の心がほんの少し何かを納得し始めたのかもしれない。「父さんに背負われて16回目の小谷だよ。リュックから見る景色はどうだい?チャッピー…。」
   
 何度か体調を崩したこともあって、もともと梅雨どきは苦手だった。老犬が待つでもなし、そんな時こそ好きな所に行って好きなことをすればいいのに、なんだかグズグズしていた。梅雨の晴れ間、チャッピーの布団を干したら、なつかしいにおい(日向ぼっこをしていた背中のにおい)がして思わず抱き締めてしまった。夫によれば、あの頃はやっぱり「変だった。」らしい…。                      ☆
 「辛いのはこれからだよ…。」2,3年前に老犬を送った友人が言った。本当にそうだった。あれから3ヶ月、新しい事もボチボチ始め、チャッピーのいない生活に慣れて来たと自分では思っていたのに…。あの”悲しみの波”がときどきドーンと襲ってきた。きっかけは三和土の隅に転がった毛のついたブラシだったり、チャッピーガ寝そべる横で編んだサマーセーターだったり、死の少し前にもらった犬マークだったりした。そんな時は写真に向かって、「(君がいて)楽しかったよ、チャッピー!」と言って空元気を出していた。
 次のページへ
  

チャッピーのTOPへ
チャッピー
ー幸せは谷戸をわたる風にのってー

2004年10月10日 発行
著者・発行者/立木洋子

製作・印刷・製本 岡本出版株式会社

ライン