●交通機関
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新潟市内の主な交通機関は新潟交通のバスである。道路はあちこちで、亀裂、段差等でズタズタに寸断されて、
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マヒ状態だった。7月になっても復旧せず、授業再開は9月になった。後になって知ったが、学校町、金衛町の高級住
宅街はほとんど被害がなく、16日の夜も電気がついていたという。
汽車(新潟では電車とは言わない)はやはり線路の被害は甚大で、明訓近くの白山駅は地下通路が陥没した。新潟駅
でも線路・ホームが手がつけられないほど破壊された。仮のホームを造り、新潟ー上野間が走ったのは6月24日だった。
天理で看護婦をしている末の姉が心配してやってきた。駅まで自転車で迎えに行き、二人乗りで送迎をした。赤道(通称
あかみち・日本鋼管のベンガラが捲かれていて赤い道だった)新発田街道(国道7号線)は何とか走ることが出来たのだ。

揺れで脱線 落ちた跨線橋 白山駅の地下通路陥没
●避難命令 .
昭和石油の火災の近くに塩素系のガスタンクがあり、「爆発すると中枢神経系の障害がおきる」という説明で、避難命令
が出た。町内会長さんは個別に説明に廻るが、同意しない家庭がけっこうあった。「財産を守りたい」というのが主な理由。
高校生ながら「非常時になると人間の本性やエゴがむき出しになるな」と感じていた。「貧乏人が、命より大切な財産とはど
れほど持っているんだ」と笑ったものだ。家賃800円の県営住宅の住民は結局、全世帯避難することになった。町内会長さ
んに引率されて新潟大学農学部裏のジュンサイ池周辺に避難した。一晩この林で過ごすというので、私は子どもたちを集め
た。町内には歴代のガキ大将がいたが、ガキ大将を卒業したばかりの高一の私は、まだこの頃は絶大な影響力を持ってい
たのだ。「キャンプファイヤーをやるから薪(たきぎ)を集めろ!」せっかくだからみんなで楽しく過ごそうかというねらいに、み
んな意気揚々と集めてきた。大小様々な木が集まり、りっぱな井桁を組み終えた時、町内会長さんがやってきた。「えいちゃ
ん、そんなことやってる場合じゃないよ!」と止められた。キャンプファイヤー大作戦は空振りに終わった。「この会長さんも余
裕の無い人物だったんだ」と、井桁を崩しながら考えていた。結局夜を待たずに、避難命令は解除され、帰宅の途についた。
避難命令で避難する人々/藤見町付近
●被害データ .
地震発生が13:02で、昼食が終わった頃だった。火を使っていない家庭が多く、一般の火災は最小限に食い止められた。
それが死者14名という数字に現れている。 .

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