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八重子さんに聞いた横浜大空襲の話
1945年(昭和20年)5月29日

八重子さんは妻の母(2016年91歳没)当時20歳。生前の貴重な体験談をまとめました。


      ■その時、どこで何をしていましたか?
           中区本町4丁目、北仲通りとぶつかるあたりに運輸通信省灯台局(現在の海上保安庁)の建物があり、
           そこで働いていました。

      ■空襲とわかったとき、どうしましたか?
        朝9時過ぎ、仕事を始めたばかりの時、海軍の兵隊さん(同じ建物にいる)が「空襲だ、地下へ逃げ
           ろ!!」と叫んだ。屋上に上がってみると、海の方の空がゴマを散りばめたように真黒だった。
           (600機あまりのB29が飛来)あわてて地下に入ると同時に爆撃が始まった。隣のビルとの狭い間
            にも油脂焼夷弾が落ちて、生ゴムの溶けたようなものが飛び散った。地下室にも煙が充満し、
           危険なので地上に逃げた。
               
                                手前は元町、右上ニューグランド


      ■地上のようすは?
           外に出ると、晴れていたはずなのに真暗で、雨のように何か降っていた。体や服についたのを見ると、
           黒くてガソリンのように思った。火災のため強風が吹き荒れ、トタンや看板が飛んでいた。あたりの
           猛烈な熱気で服や三つ編みした髪の先が燃え始め、近くにいた兵隊さんがバケツの水を頭からかけて
           くれた。


      ■どうやって逃げましたか?
           いっしょに働いていた女の人10人は、上司と兵隊さんに連れられて、火の少ない所を逃げ回り、
           気がついたら東横線の高架線の上にいた。(紅葉坂の下あたり)縄ばしごで降りて、野毛山の森の中へ
           逃げた。途中、おなかに焼夷弾がつきささったまま息絶えている人、腕を失った人などたくさんの死傷者
           を見た。ふと気がつくと、飛行機はいなくなっていた。野毛山は家財道具を持った人、大やけどをして
           呆然とする人など、人で溢れていた。体中がプスプスくすぶりだし、野毛の図書館の方から兵隊さんが
           来て、水をかけてくれた。軍のトラックに乗せてもらって、役所に帰った。

      ■町の様子はどうでしたか?
       野毛から吉田町を通って本町まで帰る途中、町は焼け落ちてペッタンコになっていた。町中が炭火のように、
           コンコン燃えさかり、熱くて熱くてトラックの荷台に伏せていた。
 

      ■その後、どうしていたのですか?
                鉄筋コンクリートでできた役所は焼け残っていた。お昼頃から数時間、焼け残った物を片づけたり、
           物を配ったりしたが何をしていたかよく覚えていない。封筒一杯のメリケン粉が配られた。仕事がすむと、
           磯子の家に向けて帰ることにした。トラックに乗せてもらい、中村町あたりまで来た。そこまでは町中が
           燃えていた。死んでいる人もたくさんいた。滝頭・八幡橋を通って、磯子町590の自宅まで帰った。
           夕方7時だった。八幡橋から振り返ると、黄金町あたりの高架線(京浜急行)が見えた。町内(山田谷戸)
           の入り口まで帰ってくると、近所の人が「八重子ちゃんが帰って来た〜!!」と驚いたように叫んだ。
           磯子まで帰ってくると山は緑、風は涼しくて、今見てきた風景とはまるで別世界だった。父は娘の身を案じ
           て、中区目指して歩き出したが、八幡橋から先へは行かせてもらえなかった。家族は、娘は死んでしまった
           もの、とあきらめかけていたところだった。
             
             ■翌日のようすは?
      
この日の方が悲惨だった。父は中区翁町の店を見に、私は灯台局の仕事があるかも知れないと、中区へ
          出かけて行った。関内あたりの川には、亡くなった人がたくさん浮いていた。真黒こげの人を積み上げ
          てはトタンがかぶせてあった。父の店は跡形もなかった。道も建物もなく、どこを通っても、どこにも
          行かれるようになった。(焼け野原)機銃掃射は相変わらず続き、焼け跡には隠れ場所がないので本当に
          こわかった。コンクリートの残骸の下にかくれていると、ザザーッという音とともに機影が地面をはう
          ように低く飛んできて、体のすぐ近くに弾が当たった。死ぬと思った。そんな仲でも人々は焼けトタンで
          ほったて小屋を建て、雨露をしのぐ準備をしていた。人間は強いものだ。 
  
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